栃木県足利市にある江戸時代の旧足利藩主・戸田家の陣屋門が倒壊の危機にひんしている問題で、陣屋門が江戸後期に焼失後、再建されていたことが当時、再建に寄与した旧家宅の史料などから分かった。陣屋門は明治期の陣屋火災前に現在地に移築されており、築後200年以上経過している可能性も出てきた。
史料を所蔵するのは、群馬県太田市在住の丸山直樹さん(67)。丸山家は江戸時代、足利藩で町役人の役割を担った年寄を長く務めた旧家。丸山さんは江戸時代の史料1千点近くを所蔵し、足利の郷土史を長く調べている。
文献などによると、戸田家は宝永2(1705)年に足利藩主となり、大名屋敷の機能を持つ陣屋は宝暦8(1758)年、同市雪輪町一帯に整備され、明治8(1875)年12月、陣屋内からの火災で主要建造物は全焼。陣屋門は火災前の明治4、5年ごろ、現在地の民家に譲渡され、移築されたといわれている。
今回分かったのは、陣屋門が天明6(1786)年7月に一度、焼失したという史実だ。
丸山さん宅にある古文書には、当時の当主・丸山清右衛門が「羊(ひつじ)年4月」に役所に宛てた文書で、「御陣屋表御門之儀、去ル午(うま)年御焼失、六拾両余、私上納」などと記されている。天明6年は午年で、焼失の記録を裏付けている。
また、丸山さんらの調べた史料では、この「上納」の貢献を受け、役所は清右衛門の名字帯刀を許した上に年寄役を免除し、息子の源八を年寄にしたとされている。
再建は羊年に当たる翌年の天明7(1787)年か寛政11(1799)年の間とみられ、丸山さんは「家系図と照合すると、6代目清右衛門と源八親子の時期に符合する。幕末再建説もあるが、幕末に清右衛門と源八親子の組み合わせはない」と話している。(川岸等)
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