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Tuesday, December 22, 2020

東工大関係者3名が令和2年秋の叙勲を受章 - 東京工業大学

令和2年秋の叙勲において、石田愈名誉教授、岸本健雄名誉教授、水谷惟恭名誉教授が、長年に渡る教育研究の功労に対し瑞宝中綬章を受章しました。

石田愈名誉教授

経歴

石田愈名誉教授

石田愈名誉教授(2005年4月称号授与)は、本学理工学部化学工学科を卒業後、修士課程、博士課程を経て、1969年4月に本学資源化学研究所助手に採用され、1974年10月に同研究所助教授、1984年10月に教授に昇任しました。また、2000年4月から2005年3月の定年退職まで同研究所長を務めました。

この間、化学装置内で起こる複雑な現象としての固体・気体間反応や粉粒体の装置内流動を、それぞれ基本原理から解き明かして学問基盤を構築しました。その成果は米国の著名な教科書や成書に詳しく紹介されています。さらに、化学システムでのエネルギー変換に注目し、窒素酸化物を出さずに、しかもエネルギーを加えることなく二酸化炭素を回収できるケミカルループ燃焼法を提案しました。これらにより、東京工業大学手島記念論文賞、化学工学会論文賞、同研究賞、同学会賞、日本エネルギー学会賞、同功績賞、米国機械学会本部賞(E.F.Obert賞)を受賞しました。

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修士論文では、固体粒子群を下方からの空気流で浮遊させて廃棄物処理する流動燃焼炉について白井隆先生のもとで研究しました。白井先生が翌年度に米国ウェストバージニア大学へ派遣され、同大学のRichard C. Bailie(リチャード C ベイリー)先生とともに流動燃焼法の研究費を申請、採択されたので、後半の6ヵ月間は私も渡米し研究に加わりました。その際、私は20%の時間Chin-Yung Wen(チン ユン ウエン)先生のもとで固体・気体間反応の研究に従事し、実用に耐える反応モデルの開発が必須なことを知り、条件の違いで変わる諸反応様式を包含する数式モデルを構築し、苦労の末、その解析解を導くことに成功。24才での短期間米国研究生活は私を大きく成長させてくれました。

また、固体粒子群の流れを反応装置内で制御できれば、固体・気体間反応の応用が広がります。まず、傾斜樋での粒子流中の深さと粒子速度の関係を実測。水での放物線分布と異なる直線分布を得ました。そこで、粒子流では液体の粘度に相当する項が深さに比例するとし、各粒子が重力を最大に取り込むことを目標に動くとして最大原理を適用。その結果、直線分布の流れが導け、さらに、樋の角度がある値以下では粒子が動かない、すなわち砂山の角度(安息角)も導けました。最大原理は修士での市川敦信先生のプロセス制御の授業で知り、その存在を記憶していたことが役に立ちました。

白井先生、Wen先生、研究室の皆様、研究所長時には事務職員の皆様から、大事なときに、いつも助けを得て仕事ができたことを感謝しています。

岸本健雄名誉教授

経歴

岸本健雄名誉教授

岸本健雄名誉教授(2013年4月称号授与)は、1976年3月に東京大学大学院理学系研究科動物学専攻を修了、1978年1月に生物科学総合研究機構基礎生物学研究所助手に採用されました。同研究所助教授を経て、1987年12月に本学理学部教授に昇任しました。生命理工学部生体機構学科、大学院生命理工学研究科生命情報専攻への配置換を経て、2013年3月に定年退職しました。2012年12月よりお茶の水女子大学客員教授を務めています。

並行して日本学術振興会学術システム研究センター専門研究員、日本学術会議会員を歴任し、現在は、一般社団法人国立沖縄自然史博物館設立準備委員会の代表理事として日本初の国立自然史博物館設立に向けて尽力しています。

この間、ヒトデの卵細胞を主な研究材料として細胞周期制御の分子細胞生物学的研究を推進し、普遍的原理と多様性の統一的理解という生物学の宿命的課題を、分子細胞生物学的に解くことに貢献しました。また、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業CRESTの研究代表者、文部科学省科学研究費助成事業特定領域研究の領域代表などを務め、当該研究領域の発展に寄与しました。これらの業績により、日本動物学会賞、比較腫瘍学常陸宮賞、チェコ科学アカデミー・メンデルメダル(The Gregor Johann Mendel Honorary Medal)、紫綬褒章を受賞・受章しました。

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学部時代の化学科では劣等生であったし、昆虫少年であったわけでも、中学・高校・大学時代に生物学に親しんだわけでもなかったが、生物学の大学院に進むことにした。進学先の研究室選びでは真剣であったが、研究内容を理解していたわけではさらさらなかった。ところが、いざ研究室(東京大学・海洋研究所の金谷晴夫助教授)に入ってみると、事態は一変した。まず金谷晴夫(故人)という人間が面白かったし、その人のやっていた研究も面白かった。ヒトデという予想もしなかった生き物を材料として、卵成熟という知りもしなかった現象が研究対象であった。以来、今日に至るまで、ヒトデの卵細胞との心中状態が続いている。そうはいっても、ヒトデそのものに愛着があるわけでは全くなく、その卵細胞が次々と問いを発してくれ、それを解こうとすると、それなりの発見をもたらしてくれているだけである。こうした行き当たりばったりの研究人生を始動させ、支えてくださった方々に、まずは心からのお礼を申し上げたい。特に東工大で自身の研究室を持つことになって以来の研究室スタッフと学生・大学院生・ポスドクの皆さんには、感謝の言葉しかない。およそ目前の役には立ちそうにない基礎研究ではあるが、それを実施できる雰囲気が東工大から放逐されないことを願ってやまない。

水谷惟恭名誉教授

経歴

水谷惟恭名誉教授

水谷惟恭名誉教授(2005年4月称号授与)は、1970年3月に本学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程を修了、同年4月に本学工学部無機材料工学科の助手に着任しました。助教授時代の1977年には、米国マサチューセッツ工科大学のWilliam David Kingery(ウィリアム・デビッド・キンガリー)教授のもとでセラミックスの粒界現象について研究を行いました。帰国後は工学教育の改革にも携わり、1987年12月に教授に昇任しました。2001年4月に工学部長に就任、法人化前の大岡山地域の課題解決や総合安全管理センターの開設に尽力し、総合分析支援センター長も務めました。学会においては、日本セラミックス協会での副会長、部会長、委員長などを歴任しました。

2005年3月の定年退職後、ものつくり教育研究支援センターの開所に関わり、2006年に国立東京工業専門学校校長に赴任、国立高等専門学校機構(高専機構)とともに専攻科の改革や学位関係に取り組みました。校長退任後は高専機構の顧問と豊橋技術科学大学の監事を務め、2016年から3年間、学校法人嘉悦学園の理事長を務めました。

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私は故加藤誠軌先生のもとで研究を行いました。先生は、“new tool is new data”(本学の先生の話と伺っています)、すなわち新たな機器からあたらしい結果が生まれるということを信条に、セラミック材料の開発や実験に必要な機器を研究室で作ることをされました。一方、自由な空気の中で、研究に専念できる環境に恵まれました。多くの留学生を受け入れ、数々の思い出があります。工学部長時代は法人化直前でもあって、様々なプロジェクトを始めました。若手の助教授を中心とし、多様な発想のもと様々なチャレンジをしました。今後とも本学の素晴らしい教員の方々の柔軟な思考に期待いたします。

高等専門学校は中学卒業後入学し、5年間教育、卒業後の進路は就職と進学が半々です。ロボコン、プロコン、最近はディープラーニングコンテストなど、いずれも若者の柔軟な思考が関わっており、この能力がさらに育つことを願っています。

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