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Sunday, September 13, 2020

水面より25m高い場所にも洪水、地図記号「自然災害伝承碑」の現地巡る - 読売新聞

 2011年の紀伊水害など過去の災害を伝える石碑や記念碑が、国土地理院の地図記号「自然災害伝承碑」として登録され、ウェブ上の「地理院地図」に掲載された。奈良県内では今月までに五條市や十津川村、野迫川村の計25基が紹介されている。命を守るために先人が残した伝言を、地図を頼りに巡った。(中井将一郎)

 奈良県十津川村の観光地「谷瀬のり橋」が架かる上野地地区。170人が暮らす集落の中心から熊野川方向に分け入った道端に、高さ95センチの古い石碑が立っている。周囲にアサガオが茂り、歩いて探しながら2度も見過ごした。

 表面にこう刻まれている。

 明治廿二年八月十九日洪水氾濫及于此所即立石以為後之警戒(明治22年8月19日、洪水の氾濫がこの場所まで及んだ。石を立てて後世の警戒とする)

 熊野川からは200メートル以上離れ、水面よりも25メートル高い。かつて、ここまで洪水にのまれたとは、にわかに信じられない。

 「石があるなあ、ぐらいの認識。洪水がここに来たって書いてあるの?」。近くに住む男性(42)も驚く。紀伊水害では集落の高い場所にある診療所に避難したといい、「やっぱり早めの避難を心がけないと」とうなずいた。

 1889年(明治22年)8月に起きた十津川大水害では、村内で168人が死亡した。土地は荒れ、被災者ら2600人以上が北海道へ移住を余儀なくされた。当時、村内の浸水箇所を示す警戒碑が60基建てられたとされる。しかし、現存しているのは、上野地地区を含めて5基しかない。

 石碑を調査した村総務課の防災担当山香やまか慶造係長も、明治の大水害の碑の多くを知らず、聞いて回るなど探すのに苦労したという。「明治の大水害は文献でしかわからない。現地を巡って『本当にここも被災したんだ』と規模を実感した」と振り返った。

 村内の自然災害伝承碑は16基。うち十津川大水害の警戒碑や記念碑などは9基あり、残る7基は紀伊水害で土砂崩れや洪水が起きた現場に建てられている。

 野尻地区にある「紀伊半島大水害警戒碑」は、村営住宅2棟が流され、8人が犠牲になった場所に立つ。裏面には、土石流に塞がれた河川が流れを変えて住宅をのみ込んだと刻まれている。石碑の根元に、線香と飲み物が供えられていた。

 避難の教訓を伝える石碑もある。五條市西吉野町屋那瀬の「禍害復旧之碑」が立つ場所は1982年8月の台風で2度にわたり崩落したが、早期避難で全員が無事で、「幸い人身事故には至らず」と刻まれている。

 水害を記憶する人がいなくなっても、災害の危険は常にある。碑に刻まれた文字に触れると、「生き延びてくれ」と先人が訴えかける声のように思えた。

 地図記号「自然災害伝承碑」は国土地理院が新設し、昨年6月からウェブ上の地理院地図で公開を始めた。

 きっかけは2018年7月の西日本豪雨だった。大勢が犠牲になった広島県坂町では、1907年に40人以上が死亡した水害を伝える石碑があっても、知らない住民が多かったという。

 国土地理院は「貴重なメッセージが十分に生かされていない」として、自治体に災害を伝える石碑や記念碑の情報提供を求め、地理院地図で位置と写真、内容を広く知らせることにした。今月1日時点で全都道府県の179市区町村から申請された593基を紹介している。新たに印刷する2万5千分の1地図にも記号を順次掲載していく。

 近畿地方測量部の千葉浩三次長は「スマートフォンでも手軽に地図や内容が見られる。防災教育に役立ててほしい」と話している。

     ◇

 ウェブ上の「地理院地図」で「地図」を選択後、「災害伝承・避難場所」「自然災害伝承碑」とクリックすれば、地図記号が表示され、写真や説明もついている。

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September 14, 2020 at 10:34AM
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