東京マラソンのゴール近くではマスク姿のファンが目立った(1日、東京都千代田区の丸の内仲通り)
新型コロナウイルスの感染拡大がじわじわと日本社会をむしばんでいます。スポーツ界ではサッカーJリーグが試合の延期を決め、プロ野球のオープン戦や大相撲春場所は無観客での開催になるなど波紋が広がっています。影響の懸念は今夏に迫った東京五輪・パラリンピックにも及びます。不安な状況のなか、米スポーツブランド「アンダーアーマー」の日本総代理店、ドームで社長を務める安田秀一氏は、過去のオリンピックは「困難を乗り越えてきた」と語ります。
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新型コロナウイルスの影響により、各種スポーツイベントが中止になっています。もちろん、スポーツイベントだけでなく、エンターテインメント産業や飲食、観光業などへの経済的な打撃も深刻です。
我々の会社も、テレワークを推奨し、日々ウイルスの感染状況に注意しつつ、売り上げ推移を確認する、という日々を過ごしています。多くの人々と同じように、感染拡大を防ぐべく静かにしている状況です。
僕自身、ウイルスの専門家でも何でもなく、政治家や役人でもないので、この重大な個別事案に対してコメントできる立場にはありません。ひたすら、自衛をしつつ神様にお祈りするのみです。
■スポーツと社会問題は切っても切れない
今後のウイルスの状況次第ではオリンピックにも大きく影響することになってしまいます。ただ、我々はスポーツとこうした社会問題は切っても切れない関係にあることを改めて学ばねばならないでしょう。同時に、我々人類の先輩たちはこうした難局を幾度となく乗り越えて、現代にある一定の安定と平和をもたらしてくれたことを思い出させてくれるいい機会のように思っています。
僕の記憶の中にある事柄で言えば、1980年のモスクワ五輪があります。
当時のソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻したことをきっかけに、西側諸国が抗議の意味でオリンピックへの不参加を表明。日本選手団の大会不参加もオリンピック開催の約1カ月半前に決定されました。当時の日本代表選手のメンバーには現日本オリンピック委員会(JOC)会長の山下泰裕氏や日本陸上競技連盟マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦氏も含まれていて、アスリートたちが悔し涙にむせぶ姿が連日のようにテレビの画面を占領していました。
84年のロサンゼルス五輪は、公開競技だったとはいえオリンピックに初めてプロ選手が参加して大会を盛り上げたという華やかな思い出とは裏腹に、ソ連をはじめとする東側諸国はオリンピックに不参加、という極限まで緊張関係の高まった冷戦構造を浮き彫りにした大会でもありました。
88年のソウル五輪では、その前年11月に大韓航空機爆破事件があり、隣国における大事件ということもあって、日本全体が恐怖で覆いつくされました。この事件の内容が徐々につまびらかになる過程でも、事件そのものと日本との関連性がクローズアップされ、拉致問題とともにいまだ解決に至っていない後味の悪い事件になっています。
92年のバルセロナ五輪では、選手の選考会が盛んだった前年に湾岸戦争が起こりました。湾岸戦争が近年にない大規模な戦争であり、この大会自体も開催が危ぶまれたものでした。ですので、そもそも「出場できた」というだけで世界中のアスリートたちが歓喜の思いを分かち合っていた姿がとても印象に残っています。
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March 07, 2020 at 03:30AM
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過去の五輪に学ぶ 新型コロナとスポーツの関係 - 日本経済新聞
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