アナログのサンプラー、古代のサンプラーなどと表現される「メロトロン」という不思議な魅力を放つ鍵盤楽器があります。メロトロンを「マネ」したiOSアプリ「マネトロン」の開発者である山崎潤一郎がメロトロン愛を炸裂させます。その行く末は……。
本物のメロトロン(Mellotron)を入手した。念願だった。夢がかなった。「M400S」という最も有名なモデルだ。
ワンクリック(ワンタップ)であらゆる音色を呼び出せる音源ソフトが簡単に手に入る時代に、なぜ税込で44万円もする古びた鍵盤楽器を購入してしまったのかと自問する。音程は不安定だし、メンテナンスに気を遣う。そして、重く大きく、移動させるだけでも大騒ぎだ。
しかし、実機を触ってその答えはすぐに見つかった。弾き方や鍵盤の押し込み具合で、毎回微妙に表情を変える音色、古びたアナログ回路を通じて発せられるノイズにまみれた音は、指の力加減1つで、ときに弱々しく、ときにヒステリックで、予測のつかないドラマを展開してくれる。
メディアでは、よく「暖かいアナログの音。冷たいデジタルの音」という紋切り型の表現を目にする。筆者はそうは思わない。LPレコードのざらついてヒリヒリとした高域が、うなじのあたりを直撃するあの感覚のどこか暖かいのだろうか。オーディオが高級になるほどヒリヒリ指数は高い値を示す。ヒリヒリ感は、アナログ音源に対する褒め言葉として受け取っていただきたい。
メロトロンもまさにそれだ。代表的な音色である3ヴァイオリン(ストリングス)の高音に身を委ねてみるといい。デジタル音源では味わうことのできない言い知れぬ緊張感が襲い掛かる。発売当時のマニュアルには、再生周波数帯域が50Hz〜12KHzと記載されている。このスペックだけを見ると、44.1KHzのCD品質のデジタルでも理論上は十分に再現できるはずだ。
だがスペックだけでは語れないのがアナログオーディオの世界。高校生のときにLPレコードで聴いたキング・クリムゾンの「スターレス」が醸し出す陰鬱とした空気感や、同じくキング・クリムゾンの「エグザイル」の荒涼とした世界感は、この唯一無二で代替のきかない出音の上に構築されていることが50年の時を経てようやく理解できた。
日本人はメロトロンが好き
2008年1月の米国ロサンゼルス郊外のアナハイムで開催されるNAMMショーで見た実機の強烈な記憶。それを原動力に若いプログラマーと組んで開発したiPhone向けのメロトロンシミュレーターアプリが「マネトロン」(Manetron)だった。
当時のiPhoneは非力でプログラマーには苦労を掛けたが、そのかいあってか、それなりに話題になって2万4000ダウンロードという当時としてはそこそこの数字を残した。そして、マネトロンは、第2世代の「スーパーマネトロン」(Super Manetron)へと進化した。
初代では実現できなかったテープ走行のアニメーションやMIDI機能を実装し、ファンの受けは抜群だ。国別にダウンロード数を比較すると日本が最も多い。メディアへの露出などプロモーションのたまものだとは思うが、それをさっ引いても、総じて「日本人はメロトロンが好き」だと肌感覚で感じる。
スーパーマネトロンは「うる星やつら」や「みゆき」といったアニメ音楽を作・編曲した安西史孝氏の実機、M400S(シリアル番号761)からサンプリングした音源を収録して開発した。フルート、3ヴァイオリン、チェロの基本3音色に加え、8声混声コーラス、ブラス、バイブを収録している。
バイブは、あまり聴くことのない珍しい音色だが、安西氏によると「イエスの『海洋地形学の物語』のC面(LP2枚目のA面)“古代文明”のイントロのバイブの音が欲しくてテープを注文した」そうだ。
このイントロは、リック・ウェイクマンが速弾きしていて、メロトロンでこのような速弾きが可能なことに驚かされるが「このフレーズのために、徹底してアクション機構の調整を行っているのではないか」(安西氏)という。
バイブの音は、イタリアのバンド、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)の代表作『幻の映像』A面1曲目「人生は川のようなもの」でも聴くことができる。2分50秒あたりの眠たい感じの金属系のワウフラッターまみれの音がそうだ。
音程の不安定さとノイズが最大の魅力
おっと、ついつい話がマニアックな方向に進んでしまった。微に入り細をうがった解説に走りがちなのは、マニアの癖であり性なのでどうかお許しいただきたい。話をメロトロンの実機に戻そう。
筆者が手に入れた個体は、シリアル番号728とある。初期のCMCモーターコントローラー基板を搭載した個体だ。CMC基板は音程が安定せず、ノイズが混入しやすいという美点(?)がある。メロトロンを語る際、音程の不安定さとノイズは肯定的に捉えられるのだ。実機を弾いてみると確かに不安定だ。和音を押さえると全体的に音程が下がるし、サーサー、ブチブチとノイズが入る。
その後、登場したSMS基板は安定しているらしいのだが、前述のように音程が不安定なところも魅力だと思っているので筆者的には今のままで問題はない。
海外の掲示版をのぞいてみると「私の個体はSMS基板だが、いとおしく不安定な音が欲しいのでCMC基板に載せ替えたい」という人もおり、多くの人がその考えに賛同の書き込みを行っている。ほんとに変な楽器である。
そもそも、スイッチを入れただけで何も弾いていないのに、常にモーターが回転しているので結構うるさい。そして弾いたら弾いたでテープがスプリングで引っ張られて戻ったときの音も加わり、機織りのようなバタンバタンという盛大なノイズが鳴り響く。ヘッドフォンでモニタリングしても周囲に騒音をまき散らす楽器なのだ。
冒頭で、「44万円もする古びた鍵盤楽器」と述べたが、グローバル基準で見たらお手頃価格だと思っている。関係者が言うには、海外では最低でも60〜70万円で取引されているそうだ。そういえば「Reverb」という中古楽器の売買サイトでボロボロの朽ち果てる一歩手前のメロトロンが約36万円で売られていた。
関係者いわくヴィンテージギターにしても日本での市場価格は、総じて海外より安価だそうだ。ビッグマック指数やiPhone指数と同様に、ヴィンテージ楽器からも低空飛行を続ける日本経済の現実を垣間見ることができる。
メロトロンの上に、ヴィンテージのミニ・モーグ(Mini Moog)を置けば、プログレ的に完璧なフォーメーションが出来上がるのだが、そこまでそろえるだけの財力はない。でも憧れる。
新世代のマネトロンの開発を予定
今後、このメロトロンを徹底研究することで、iOSアプリを開発する予定でいる。つまり、第3世代のマネトロンということだ。ただ、どのような機能を盛り込むのかは、まったくの白紙だ。
例えば、知人のメロトロンマニアは、規則性のない出音の不安定さや音のかすれ、アタックといった、メロトロンの子細な特異性の再現を要望する。確かに現在のiPhoneの能力があればそれなりのことが可能なのかもしれない。
だが、開発にリソースを割いて有料アプリとして販売する以上、ビジネスのことも考えなければならない。凝りに凝ったマニアックな機能を搭載してもそれが数字に結び付かなければ、開発者としてモチベーションが下がるだけだ。
マニアックな機能にこだわるのではなく目先を変えて、メロトロンという楽器がどういうものであるのかが理解できる、写真と動画で構成された一種の図鑑的なアプリも楽しいのではないか。もちろん、演奏機能も搭載した上での話だ。
課題は、既存のメロトロンにまつわる各種の権利に抵触しない形でどこまで意味のあるアプリを作ることができるかだ。意匠や音源といった商標以外の権利については、不明瞭でカオスな部分も多くアプリ開発者として不安になることもある。権利については、本連載でいずれ整理して取り上げるつもりだ。
せっかく手に入れたオリジナルのメロトロンだけに、その希少性をまずはアプリという形で生かし、社会に還元していきたいと考えている。
著者プロフィール
山崎潤一郎
音楽制作業の傍らライターとしても活動。クラシックジャンルを中心に、多数のアルバム制作に携わる。Pure Sound Dogレコード主宰。ライターとしては、講談社、KADOKAWA、ソフトバンククリエイティブなどから多数の著書を上梓している。また、鍵盤楽器アプリ「Super Manetron」「Pocket Organ C3B3」「Alina String Ensemble」などの開発者。音楽趣味はプログレ。Twitter ID: @yamasakiTesla
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