山根 聡
アフガニスタンをめぐる国際関係に最も影響を受ける国が、東の隣国パキスタンだ。米中枢同時テロから20年、またソ連のアフガン侵攻から40年余りに及ぶ両国関係を振り返る。
対テロ戦争開始から20年目の今年8月15日、アフガニスタンではタリバンが首都カブールを制圧し、新政権樹立を宣言した。タリバンの首都制圧は誰も予想していなかったため、世界中が驚いたが、一番驚いていたのは、ここまで早く首都を制圧できるとは思っていなかったタリバン自身ではないだろうか。時間をかけて首都を制圧していれば、タリバン中枢部の指令系統が確立され、首都制圧後の政治的混乱やタリバン兵士による市民への暴行などが防げていたかもしれない。 日本では「昨日の敵は今日の友」ということわざがあるが、アフガニスタンにおいても、武装集団や政党、軍閥など諸派は離合集散を繰り返し、協調関係が突如崩れたり、対立関係が改善されることがよく見られる。結果的にこれが、諸派間の複雑な関係を生んだが、1980年代から今日までのアフガニスタンでの合従連衡の様子を見ると、協調や敵対を繰り返すことに疑問を持っていないように思われる。つまり、理由さえあれば、彼らの方針変更は可能なのである。ここでは9.11の前後20年、すなわちアフガニスタンとパキスタンの40年の流れを検討したい。
アフガニスタンとその周辺国
交渉により米軍撤退で合意
1980年代の対ソ連戦争時に共闘していたムジャヒディン各派はソ連軍撤退後、主導権争いで対立を深め、94年1月に始まった武力衝突で国土が壊滅状態となった。この内戦状態を憂いて同年秋にイスラム神学生らを中心に結成されたのがタリバンで、彼らは治安回復を訴えて急速に勢力を拡大し、1996年9月に首都を制圧して暫定政権を樹立すると、それまで争っていたはずの武装勢力は「北部同盟」として反タリバン路線で共闘し、タリバンと北部同盟の間での内戦が続くこととなった。 さらに、9.11米国同時多発テロ後、米国は首謀者ウサマ・ビン=ラーディン容疑者の身柄引き渡しをタリバンに要求したが、タリバンがこれを拒否したことで、米国をはじめとする連合国軍らの攻撃が開始され、10月にタリバン政権は崩壊した。 政権を追われたタリバンは2000年代、政府や駐留外国軍への攻撃で治安を脅かしていたために米国と対立していたが、2011年から政府や米国との交渉を開始、13年にはカタールに事務所を設置し、米国との交渉の結果、米軍撤退の合意に至ったのである。タリバンは首都制圧後、ハミド・カルザイ元大統領やアブドラ行政長官ら旧政府関係者とともに米英両国とも交渉を開始し、政府承認に向けた動きを見せるなど、諸派は時勢に応じて方針を変容してきた。
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