時おり、ぼくのトリノ時代、つまりは30年近い昔話をするのをお許し願いたい。あの当時、ボスはぼくの心に残る話をたくさんしてくれた。ボスと話すこと自体、日常生活での喜びだった。稀に説教のような内容もあったが、基本、ボスが自らその時に関心をもっていること、今やっていることを軽妙洒脱に話してくれた。
事業家として、社会活動家として、そして家庭人として話題のネタはさまざまにあった。その分野での一線で活躍するがゆえに得る、彼の感受性に響くエピソードや教訓も教えてくれた。ぼくは「なるほど、社会はこう変化していくのか」と腹落ちした。だから、しばらく話を聞かないと、うずうずする。
ぼくは独立してビジネスをやっていくための修行の場として、東京でのサラリーマンを辞めてボスのもとについた。我が人生でもっとも意義ある選択だったと今も考えている。
自分が今、燃えている話を他人にする。これを生きる姿勢として学んだ。
さて最近、中年以上(30後半以降を中年と認知する人が多いらしいが、この文脈では40代半ば以降か)の「意識高い系」の人たちが「なにごとも若い世代に任せるのが一番。我々は若い人の背中を押すことに集中し、活発な人たちの邪魔をしないのが肝心」と盛んに言っている。
これはこれで非の打ちどころがない。
しかし、ものすごく気になる。「じゃあ、あなたたち何やるの?」と聞くと、暗黙の了解が通じる、狭いコミュニティをいかに充実させるかに関心がいきがちなのが透けて見える。あるいは自分のスキルの切り売りを考える(または、すがろうとする)。
いや、いや、そうじゃないでしょう。若い人たちの経験や視点だけでは見いだせない面白い領域をみつけ、その開拓に気分が盛り上がり、ゆくゆくは若い人たちも興味を示せば、それを手渡す。興味がないとわかれば、それまでだ。
そういう楽しみをみつけるのが生きがいってものじゃないの? あるいは社会への貢献じゃないの?
からの記事と詳細 ( 【ローカリゼーションマップ】「意識高い系」の中年達よ 自分のための冒険をしよう!【安西洋之】 - SankeiBiz )
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