東京五輪の開催に際して進められてきた文在寅(ムン・ジェイン)大統領の訪日と韓日首脳会談開催が見送られたことで、韓日関係はさらなる迷路に迷い込んだ。 東京五輪が外交の機会として活用されなかったことには様々な事情があるが、根本的には韓日関係の枠組みが変わったからだ。韓日の国交正常化後、両国関係は「植民地被害国」韓国の道徳的優位と、加害国であり、国力の優れた日本の後ろめたさという枠組みの中で作動した。 韓国にとって最悪の韓日関係は1973年、金大中(キム・デジュン)拉致事件の時だった。韓国の中央情報部が日本を訪問した野党の大統領候補であった金大中氏を拉致したのは、日本の主権を侵害した事件だった。当時、日本の野党が政府不信任案を提出する理由の一つになるほど、同事件により韓国は韓日関係において困難な立場に追い込まれた。 しかし、1年後の光復節行事の際、在日コリアンの文世光(ムン・セグァン)による朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺未遂事件で、夫人のユク・ヨンス氏が殺害されたことで、形勢は完全に逆転した。朴正煕政権はこの事件に日本の責任があるとして攻勢を広げ、日本から謝罪使節団の派遣を引き出すなど、金大中事件の余波をかき消した。 韓国の権力機関の計画的な主権侵害が日本の治安機関の単なるミスとされたのは、「被害者韓国」対「加害者日本」という認識が働いたからだ。戦後、日本の知韓派という主流政治家たちの韓国に対する認識には、優越感と後ろめたさがコインの表裏のように共存していた。「力の強い兄」の日本が「弱い弟」の韓国をなだめなければならないということだった。だからこそ、彼ら知韓派は歴史問題について時には妄言を並べながらも、謝罪を繰り返したのだ。 このような構図は日本が植民地支配に対して「痛切な反省と心からのおわび」に基づいた1998年の金大中・小渕宣言(「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同宣言」)をピークに崩れ始めた。戦後生まれの政治家たちが日本政界の主流となり、韓国と日本の国力の差が縮まり、「兄日本」対「弟韓国」という認識は薄くなった。日本の戦後生まれの政治家の韓国に対する優越感は依然として強いが、後ろめたい気持ちは消えた。反日感情が依然として有効な韓国にとって、過去の対日外交パターンが働かなくなったのだ。 韓国は、今回の韓日首脳会談開催の条件を、昨年の日本の対韓輸出規制撤回と韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の再稼働を交換する線に大きく下げたにもかかわらず、日本はこれを断った。日本メディアはこれを韓国の「瀬戸際外交」と表現した。韓国が首脳会談の成果を条件に開催を圧迫したとして、そう表現した。 ところが、韓国にはもうこれといった影響もない輸出規制の解除を、日本側が強く望んでいるGSOMIAの正常化と交換するという提案を見る限り、過去、金大中拉致事件や文世光事件当時の韓日関係がくつがえされたようにもみえる。性的表現を使って韓国を非難した在韓日本大使館の相馬弘尚総括公使が「日本政府は韓国が考えているほど両国関係に気を使う余裕がない」とした言葉は示唆的だ。韓国が日本よりも両国関係の改善を望んでいるという意味でもあるが、日本に以前のような余裕がないという意味でもあるからだ。 日本の菅義偉首相は首脳会談が見送られたことについて、「我が国の一貫した立場に基づき、韓国側としっかり意思疎通を行っていく」と述べた。日本が望む「慰安婦」と強制徴用の解決策を韓国が先に提示しない限り、首脳会談はできないという意味だ。過去、韓日関係の課題は日本が解決してきたが、今や韓国がそれを引き受けることになった。従来の韓日関係はもう終わった。 チョン・ウィギル先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
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