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Saturday, October 30, 2021

女子野球がゆるやかな上下関係を大切にする理由 - 東洋経済オンライン

履正社高の橘田恵監督が語る日本野球の課題

履正社高校女子野球部の橘田恵監督(写真:筆者撮影)

「『野球は男のスポーツ』壁を打ち破った彼女の決断」に続き、元侍ジャパン女子代表監督で、履正社高校女子野球部の橘田恵監督のこれまでの軌跡を紹介します。

オーストラリアと日本でプレーをする生活を続けて2シーズン目、橘田恵は23歳で現役を引退し、指導者の道を歩むことを決心する。

「日本に帰ると花咲徳栄高校が女子野球の指導者を探していました。選手としてはそろそろ潮時だと思っていたので受験しました。教員免許を持っていたので、翌年4月に体育教員、女子硬式野球部のコーチに就任しました」

しかし花咲徳栄での2年間で、橘田は限界を感じるようになった。

「選手としては、いろいろなところでプレーしてきましたが、指導者の経験はありませんでした。それまでの私は、野球が好きなだけの人間だったんですね。ノックを打つことはできても、教えられることが少なかったし、みんな自分の型にはめようとしていました。選手たちの実力差も大きかったのですが、彼女たちのレベルに合わせた指導もできませんでした」

そこで鹿屋体育大学の大学院に進んだ。同時に、仙台大学時代の恩師が南九州短期大で女子野球チームを作ることになったのでコーチになった。大学院で学んだことを、女子野球チームのコーチとして実践することにしたのだ。選手兼任コーチとして1年、引退してコーチで1年、3年目には監督に就任。同時に鹿屋体育大学大学院体育学研究科を修了して、体育学修士になった。

「大学院で学ばせてもらいながら、現場で仕事をさせてもらえた環境にも、ただただ感謝でした」

監督に就任して2年目に全国優勝

2010年前後から、女子野球人気が高まり、社会人、大学、高校などで女子野球部を創設する機運が高まった。まだ現役選手と同様に体が動き、海外での経験も豊富な橘田恵は、若手指導者として注目されていた。橘田は履正社医療スポーツ専門学校女子硬式野球部(履正社RECTOVENUS)の監督に就任した(2012年~19年)。

「最初は一生勝てないんじゃないか、と思うほど弱かったのですが、選手たちが必死に練習して2年目の全国大会の初戦で初めて勝ちました。初めての勝利がコールド勝ちだったのですが、それでもチーム初勝利に選手みんな泣いていました。そこで勢いがついたのか、以後、接戦を勝ち抜いて全国優勝してしまったんです」

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