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Tuesday, February 9, 2021

日本の未来を切り拓くため「志の高い政治家」が不可欠だ | | 田中均 - 毎日新聞

 もう目を覆うばかりだ。政府がコロナ感染拡大防止の緊急事態宣言下で国民に我慢を訴えている中で、多人数の会食や夜の銀座に繰り出す与党議員。これまでも首相の国会での虚偽答弁や議員の選挙違反、収賄事件など自民党1強体制の中での権力のおごりなのか、統治体制の劣化・政治家の質の低下があらわになった事件が相次ぐ。あろうことか大きな影響力を持つ元首相の女性蔑視発言も飛び出した。

 謝罪すればよい、離党すればよい、議員辞職すればよい、というだけの問題ではあるまい。公認をし、資金を配分し、人事を差配した政党にも大いなる責任があるのではないか。説明責任を欠いた統治体制のなかで、コロナは深刻な日本の構造危機もあぶり出していく。コロナ対策とはいえ大規模な財政出動の中で、日本の公的債務の国内総生産(GDP)比率はおよそ258%にも達し、先進国平均の2倍を超える。負担は後世の世代に転嫁されていく。

 また、ワクチンがコロナ終息の切り札と言われる時に、米・英・独・中・露などの主要国は自国開発に成功しているが、なぜか日本は大きく遅れ、ワクチン供給は外国任せとなっている。

統治体制の劣化と政党・政治家の質の低下

 何より不可思議なことは、少子高齢化、財政悪化、生産性の低下といった長期的な構造問題が悪化し、統治の劣化を象徴する出来事が頻発しているのにもかかわらず、長く与党の座にある自民党に対する支持率がほとんど下がらないことだ。世論調査を見る限り、自民党の選択肢としての野党が十分支持を得ていないことは日本にとって不幸なことだ。

 支持率が低下せず、大きく政党勢力を減じることはないと見こした自民党議員は、緊張感をなくし、強力な与党であることにあぐらをかき続けているとしか見えない。これには終止符を打たねばならない。

 考えてみれば日本は1990年代初めに小選挙区制への選挙制度改革や政党交付金の創設など「政治改革」を行った。私自身、外務省時代に自民党が分裂して過半数を失った結果成立した93年の非自民細川政権や94年の自社さ連立政権などを経験した。また2009年には政権交代が実現され、12年まで民主党政権が継続した。健全な形で2大政党政治が続いていれば、少なくとも現在のように与党であることにあぐらをかき続ける傲慢な政治とはならなかったはずだ。

 しかし野党は離合集散を繰り返し、とても国民の信頼を受ける政党とはなっていないし、実のある与野党の競争はなきも同然だ。自民党が政権を失ったのも民主党政権が長続きしなかったのも、いずれも国民の政治に対する不信のなせる業だ。

 おそらくそのような不信感の源は、国民の目には「税金で養われ特権を持つ国会議員が国民、国家のことを考え行動している」とは映らなくなったことにあると思う。政治家の行動は、政治家としての地位を保持し続ける、即ち「自己の生き残り」に躍起となっているとしか見えな…

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